教育とコミュニティーについて

教育

朝焼けの空

いつも通りの朝に、ふとおかしいと思ったこと。

朝7時になると黒門カルチャーファクトリーのシャッターを開ける。
2階の掃除用具入れからほうきと塵取りをとり、半分くらい寝ている脳みそのまま無機質に1日分たまった埃を集める。

朝7時からエントランスの清掃をしていると、ビルの住人が、だいたい何時くらいに、どんなテンションで家を出ていくのかが、だいたいわかってくる。

ゴミ袋2つを片手に持ち7時すぎにでてきて自転車で出かけるおじいちゃん。
2階の喫煙所で10分くらいたばこを吸ってから仕事へむかう人。
5階から急いで階段で降りてくる緑のダウンジャケットを着た人。
いつもドアのオープンを手伝ってくれる新聞配達のおばちゃん。

だいたい同じ人が同じようにでかけていく。
それぞれのテンションで挨拶を交わして。

ある日、いつも8時くらいに学校へ登校していく小学生の男の子が、ぼくに『おはようございます』と元気よく挨拶をしてきた。
その時に、ぼくは機嫌よく『おはよう!行ってらっしゃい』と返した。

その後、ぼくの心の中は、『偉いな、元気に挨拶して』、と思う。

ここに、あ!おかしいな。ってことに気付いた。

いつもの、ゴミのおじいちゃんだって、10分スモーカーだって、非論理的グリーンジャケットだって、おせっかいおばちゃんだって、みんな挨拶をしてくれる。
けど、当たり前かもしれないけど、偉いな、なんて思ったことはない。
みんな当たり前のように挨拶をしているから。
その小学生だって当たり前のように挨拶をしただけなのに、偉いな、とか思ってしまう自分に悲しくなる。

教育とは本来こういうもの。

いちいち学校の先生が、朝は元気よく挨拶をしなさい、って言わなくても、子どもは環境がそのまま態度に出る。
いつも周りの人が挨拶をしてたら、挨拶をするだろうし、してなかったらしないだろうし。

そのコミュニティにいる全員が教育者であって、全員が影響し合って生きている。

良い教育者というのは、良い環境を整える人のこと指すのではないだろうか。

そんなことを思った朝でした。

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